

たかまつななさんと話す (社会起業家・時事ユーチューバー)
*SNSの危うさって、正しさや優しさがいつの間にか逆転してしまうところに
ある気がするんです。
自分は正義の側にいるんだから、強くいっていいんだ、とことんせめてもいいんだ
そういう偏った正義感はとても危険です。被害者だった人や被害者を擁護していた
人が、誰かを袋叩きにしていつの間にか加害者になってしまう・・・・・これが
SNSの怖さだと思います。
*もしもいじめ被害にあってしまったら
まず伝えておきたいのは、いじめられている人は絶対に悪くないということです
誰かが「いじめられた方にも原因がある」と言ったとしても、それは違います
100%いじめた方が悪いです。
でも、いじめに対抗するために相手と同じことをしてもいいかといったら、それも
また違いますよね。被害にあった時は、やっぱり親や先生に相談するのがいいと
思います。親や先生に話したくない場合は、スクールカウンセラーもいいかも
しれません。
また、18歳までの子どものための相談窓口「チャイルドライン」0120-99-7777
法務省の「子どもの人権110番」0120-007-110
文科省の「24時間子どもSOSダイヤル」0120-0-78310など
無料で相談できる窓口があります。
*クラスメイトや同じ学校の生徒からに被害にあったら
自分で自分に休むことを許してあげてほしいです。学校に行かず家で寝たりゲーム
をしていたりすると、なんだか情けなくなってきて、自分を責める気持ちになる
こともあると思います。でも、つらい経験をした人には休養が必要です。
心のSOSに耳を澄ませて「○○すべき」という考えを手放し、自分をいたわって
あげてください。
周りの大人も、どうか休んでいることを責めないでほしいです。大人だって、仕事
がつらくて休職することがあるし、そうやって休むことで復帰できるんですから。
1つ気をつけてほしいのは、SNSのいじめ被害をSNSで解決しようとしない、
ということです。自分に向けられた暴言を憂さ晴らしのために人に向けてしまっては、
今度はあなたが加害者になってしまいます。
また、SNSで知り合った、顔を知らない第3者に相談するのも危険です。最初は
優しく話を聞いてくれるかもしれませんが、残念ながら弱みに付け込む悪い大人が
います。いつの間にか「裸の写真を送って来い」などと言ってきて、別の犯罪に
まきこまれてしまうケースもあります。
ミュージシャン篠塚将行さんと話す
春名 もしも過去の自分に会えたなら、どうしますか?
篠塚 僕、それ、よく考えるんですよ。いじめられていた時は他人の顔色
うかがっていたし、ずっと他人軸で生きていたんです。でも今、
僕の中で一番大きな基準になっているのは、「いじめられてた頃の
自分に嫌われないように生きよう」ってことなんです。僕は今も
完璧な人間じゃないし、人と比べてしまったら相変わらず劣っている
所ばっかりで、ポンコツなんですけど「小学生の頃の僕が嫌いな
僕じゃなければいい」と思って生きています。だから、もしも会えるなら
感謝や激励じゃなく、ただ、その事実を伝えたいですね。
この本を読んでくれている中学生の君に、僕が何か伝えられるとしたら
それは「死にたいままでも生きていけるよ」ってことだけかもしれないです。
当然、なくせるものならいじめはなくなった方がいいし、弁護士さんの
ような専門家の力を借りるのもいいとは思います。だけど、僕は
いじめがこの世界からなくなることはないと思うんです。だから、僕は
死にたい君に「死にたくなって当然の世界だよ」と言いたいです。
おかしいのはあいつらで、君は正常なんだと言いたいです。
自分さえよければいいと思っている人間がいっぱいいる、そんな世界です。
そんな状況で、死にたいくらい苦しくなるのって、むしろ正常だと思うんです。
もしかしたら「死にたい」と感じている人の多くは、本当に「死にたい」んじゃなくて
「消えたい」っていう気持なんじゃないかな、と思います。誰かを傷つける
くらいなら消えたい、誰かに迷惑をかけるくらいなら消えたい、みたいな。
でもそんなふうに自分以外の人たちのことを思いやれる人こそ、この世界を
ちゃんと見ていると思うんです。僕はそういう人に生きていてほしいし、
そういう人と生きていきたい。そういう人達が生きられるようにしていかないと
自分さえよければいいと思っている人間ばっかりの世界になってしまうじゃないですか。
きっと答えなんてなくて、でも答えなんかなくても、それでも「考え続ける」しか
ないんです。このどうしようもない世界をどうしたらいいんだって、考え続けるしか
ないんじゃないですかね。
春名 ぼくも、ずっとずっと考えてきました。ぼくと同じように考え続けてきた人が
こうして目の前にいるということに、安心します。
篠塚 こういう話をすると、「メンヘラ」と言ってくる人もいますよね。だけど、そういうのは
良くないと思う。仮に見えていなくても、いじめや虐待や誹謗中傷は現実に存在
していて、それで死ぬほど苦しんでいる人がたくさんいる。もっといえば、いじめ
とは言えないまでも、その手前のグレーなところでつらい思いをしている子もいる。
誹謗中傷とは言えないまでも、誰かの無自覚な言葉に傷ついている人もいる。
僕から見れば、そういうことを全部無視して生きていける方がよっぽど異常なんじゃ
ないかな、と。
昔の日本では、精神を病んだ人が村八分にされたり、閉じ込められたりすることが
暗黙の了解だった時代があったけど、いじめや誹謗中傷に苦しむ人をメンヘラと
いって揶揄するのは、それと同じ発想だと思うんですよ。
春名 篠塚さんにとって、いじめは過去のことになりましたか?それともまだ終わっていない
という感覚ですか?
篠塚 時間や別の出会いが痛みを薄めてくれたところはあると思います。でも、どんなに
時間が経っても過去にはならないですね。今もこうして昨日のことのように話せますし
そういう意味では、僕の中で、いじめは終わっていないと思います。何ていうのかな
形は変わっても消えないというか、自分の思考や人格そのものに大きく影響して
いると思う。
春名 それはぼくも感じています。
篠塚 僕も春名さんも含めて、いじめや誹謗中傷を経験している人は、人生や人格単位で
影響がありますよね。僕はあの頃のまま、自分のことを好きになれないと思うし、
昔に比べれば死にたい気持ちは減ったと思うけど、消えたい感覚が全くなくなった
わけじゃない。最近僕が思うのは「もう解決することは諦めて、死ぬまで悩み続けよう」
ってことなんです。残酷かもしれないけど、いじめに限らず、この世界の不条理に
答えなんかなくて、逆に無数にあるとも言えて、だからこそ、安易に正解を決めず
安易に解決もせず、ずっと悩み続けたいと僕は思うんです。
結局、いじめの根底には「人間とは何か」という問題が横たわっているわけじゃない
ですか。人はなぜ人に対して悪意を持つのか、人はなぜ人をきずつけるのか、
人のこころとは何なのか、とか。死にたいと思っている子だって、いじめだけじゃなく
人間やこの世界そのものに失望してしまっているのかもしれない。ドロップアウト
したいのは、ただ誰よりも早くこの世界の正体に気づいてしまったからかもしれない。
哲学の歴史から見ても、人間とは何か、生きるとは何かという問いに、人は何千年も
答えを出せないままでいるじゃないですか。だから、答えが出なくて当たり前で、
悩んだままで当たり前で。もしも大人が「いじめをなくしたい」と思うなら、焦らず、
これからも悩むしかないんだと思います。解決なんてないと思って、ずっと悩んで
いたいと思います。
いじめや誹謗中傷がゼロになることは、この先もきっとないんでしょう。だとしても
できる事なら、例えば「いじめや誹謗中傷ったダサいよね」といった価値観が文化
として浸透したらいいなと思うし、死にたいと思う子が「守られる」んじゃなくて
「生きられる」環境を悩み続けた道の途中で見つけられたらいいな、と
春名 いじめはそう簡単には解決しないけれど、だからといって、何もできないわけじゃない
そういうお話を最初にお聞きできてよかったです。
母の気持ちを聞いたことはない。
僕がこんな形で生まれてきてしまったせいで、自分を責めたりしたかもしれない。
でも僕は、今まで母を責めようと思ったことはない。もちろん父も。
母は父と離婚してから、父の分まで僕に尽くしてくれた。
母は僕をいろんなところに連れて行ってくれた。
僕によく「他の子とほとんど変わらないから大丈夫」と言って勇気づけてくれた。
もしも母が僕の母でなかったら、僕はこの病気を乗り越えられなかったと思う。
僕にとって口唇口蓋裂として生まれて最も大変だったのは、手術や入院ではなく
人との関わりだった。
僕は口唇口蓋裂によって鼻の形が左右対称ではないし、唇も非対称で人中と呼ばれる
鼻の下の溝もない。
僕の顔が誰がどう見ても普通の人と様子が違う。だから気になるのもわかるし、
面白く見えてしまうのはしょうがないことだ。
それでも保育園までは、見た目が違うことを言ってくる人達はいなかった。
群馬の小さな田舎町にある保育園だから人数も少なく、同級生はみんな友だちみたいな
ものだったし、まだみんな幼くて僕の顔には何も気づいていなかったのかもしれない。
なので、周りのみんなと同じようにいっぱい遊んで普通に楽しく過ごせていた。
家の中では歌を歌ったり、ヒーローごっこをしたり、とても明るく元気な子どもだった。
母が僕に病気のことを教えてくれた時も、早く治るといいなと思うくらいだった。
保育園を卒園し、小学校に入学した。
ここで初めて、僕は小学校高学年の人たちに出会うことになる。
高学年ともなると、周りがよく見えてくるようになる。
僕は、ここでついに高学年の児童に見つかってしまったのだった。
ある日、休み時間に学校の廊下を歩いていると、上級生の2人組が僕とすれ違った。
その時は何もなく、僕はトイレに行っていたので教室に戻ろうと歩き続けていた。
すると背後から声がした。さっきすれ違った2人組が走って僕の目の前まで戻ってきた。
僕はどうしたんだろうと思って、きょとんとしていた。
急いで戻ってきた2人組は僕の顔を見て、爆笑し始めた。
僕はなぜ2人が笑っているか意味が分からなかったのと、急な出来事過ぎて身動きが
取れずにいた。
その後2人は、また走って遠くに行ってしまった。
2人が去った後、少しずつ状況が理解できるようになってきて、
自分の顔について笑われていることにとてもショックを受けた。
別の日、掃除時間に急に上級生に連れて行かれて2階の廊下に向うと別の上級生がいた。
2人は僕の顔を見て話しだした。
「ほら、やっぱこいつの鼻曲がってるよな」
「変な顔」と言われた。
小学生になってしっかりと理解した。
「自分は変なんだ」
そう思ってから、人に会うのが怖くなった。
顔を見られるのが怖い。
もう笑われたくない。
誰にも会いたくない。
でも学校には行かなくてはいけない。
学校でつらい思いをしていることを母や家族に言えなかったからだ。
家ではこれまで通り明るく元気に過ごしていたし、何より家族に心配させたくなかった。
だから、学校に行った。
そしてまた、顔を馬鹿にされてしまう。
学校から家に帰って寝室に直行し、布団に潜り込んで泣いた。
つらい時はいつもこうして泣いていた。
誰にも相談できない孤独さを、キリンを抱きしめて紛らわせた。
どうして僕はこんなにつらいことばっかりなのだろう。
痛い手術もしなきゃいけないし、病院にも通わないといけない。
お母さんが夜勤で夜いなくて寂しいのも我慢しなきゃいけない。
学校に行ってみんなに笑われないといけない。
どうして僕は生まれてきてしまったんだろう。
どうして僕は口唇口蓋裂として生まれたんだろう。
泣きながらたくさん考えた。考えても考えても答えは出なかった。
家族には見られないように洗面台の前に行き、自分の顔を見た。
自分でも気持ち悪いと思った。
鏡に映った醜い顔を何とか普通にしたくて、鼻や唇を指で動かしてみた。
それで治る訳もなく、その顔はいつも泣き顔に変わっていった。
そんな日々が続いて、ついに僕の心が折れてしまった。
考えすぎてしまったのかもしれない。
僕の顔はきっと綺麗に治ることはない。
もう何回も手術をしたけど、あんまり変わっていない気がするから。
だから僕はこれからも顔を見られて笑われて、変と言われる人生なんだ。
どんなに性格が良くて頭が良くてもスポーツができてもお金持ちでも
結局顔のことを笑われる人生なんだ。
僕は一生、笑われて生きていく人間なんだ。
そんな人生つらすぎる。
「生きていてもつらいだけだ」
「死にたい」
そんなつらい人生だったら、死んで楽になりたいと思った。
死んでしまえばもう面と向かって笑われることなんてない。
それに、手術や通院、学校のお金もかからなくなる。
お母さんとお父さんが離婚したのも、もしかしたら僕が病気だったせいかもしれない。
僕がいなくなったらまた結婚できるかもしれない。
もしかしたら家族も僕みたいな子どもがいて恥ずかしいと思っているかもしれない。
「僕は生きていても意味がない」
でも死ねなかった。
死ぬ勇気が出なかった。
結局僕はただの気の弱い人間だった。
つらいことからいつも逃げようとするだけの小心者。
死ぬ方法なんていくらでもあったのに、行動に移すことすらできなかった。
ただ僕は布団をかぶって泣いていただけ。情けない。
死ねなかったのは、勇気が出なかったからかもしれない。
でも、ぼくが死んで、僕のせいで家族が悲しむのは嫌だと思った。
家族みんなが今まで僕のために尽くしてくれたり、応援してくれたのを無駄に
したくなかった。
そして、僕はロックマンから学んだ「2機目の人生」を歩むことにした。
「ただ生きていても意味がないから、生きる意味を作れるような生き方をしよう」
と思った。
そんな人生のどん底の時に、お笑いに出会う。
僕が初めて見たお笑いは、夜寝る前にテレビから流れていたコント番組だった。
その番組は「笑う犬の冒険」だった。
「笑う犬の冒険」はウッチャンナンチャンさん、ネプチューンさんなど
レジェンドクラスの芸人さんが出演されていた、超人気番組だ。
それまで、テレビではほとんどアニメと音楽番組しか見ていなかった僕は
たまたまお風呂上りに見たテレビから流れる映像に衝撃を受けた。
~
お笑いに出会って、僕はこれから自分がどうなるべきかを真剣に考え始めた。
僕が生きる意味。
そこで導いた結論が「星野一成という人間をたくさんの人に知ってもらいたい」だった
せっかく生まれてきたのだから。
せっかく口唇口蓋裂として生まれたのだから。
僕という人間が地球上にいることを知ってもらいたい。
今、僕のことを知らない人が地球にたくさんいるから、僕を初めてみた人が僕を
気持ち悪がったり、馬鹿にして笑ってきたりする。
僕のことをみんなが知って見慣れてくれたら、この顔も普通になって
そんなこともなくなるんじゃないか。
僕をたくさんの人に知ってもらうことで、同じ口唇口蓋裂の人にも、
何か伝えることができるんじゃないか。
そして、家族、僕を生んでくれた両親に僕が生まれてきたことをよかったと思って
もらえるかもしれないと思った。
だから僕は、有名になろうと決心した。
人生の最終目標の決まった。
「いつか有名になって自分のことを書いた本を出版したい」
どんな形であれ、絶対有名になりたい。
有名になるには、芸能の世界に行くのが一番早いと思った。


