藤堂高直(建築家)より
・ディスレクシアは人類の10人に1人の割合でいると言われれている個性です。
ですから、これは決して他人事や対岸のでき事ではなく、実はとても身近に
あることで、数多くの人に関わることなのです。
ディスレクシアとは、知的には問題がないけれど、脳の構造の違いから、
言葉の意味・記号・音のつながりなどに困難が生じること、またそうした個性を
持つ人をさします。その特異なつながりから特殊な困難が生まれ、同時に才能も
生まれる可能性があります。
ディスレクシアの人には読み書きが苦手という特性があります。これは言葉を
認知するのに一般の人よりも脳内の複雑な回路をめぐるためです。他にも
記憶力や思考の整理に苦労をすることもあります。一方で空間認知力が優れて
いたり、複雑な回路のお陰で常人にはない芸術的才能や、発想力、統率力や
他の人にはない能力を発揮できる場合があったりします。
・中学校でも、以前から感じていた「普通ではない自分」という問題にずっと
悩まされていました。普通でないということは、普通の人が興味を持つテレビ
番組に興味がなく、スポーツや勉強などの普通の会話ができず、普通の反応が
できず、普通の成績を収められず、普通に球技ができないということらしく
私の場合は見事に全滅でした。一時期、普通の優等生になろうとしましたが
そうはなれない自分がいることに気が付き悩んでいました。このままでは自分は
確実にダメになってしまうという恐れを感じていました。先には一切の光明が
見えず、深い霧に覆われたその果てには、挫折と絶望という漆黒しかありません
でした。
・私とイギリスとのつながりは、この時期にできました。S中学校は英語教育に
力を入れており、ネイティブの英国人の先生が何人かいました。母が数か国語の
通訳・翻訳の仕事をしていた関係もあり、私は幼い頃から英語の発音を鍛えて
貰っていました。
中学校のカリキュラムの中に英国研修があり、中学2年生の時、英国に2週間の
研修旅行をしました。何よりよかったのは、授業にとても余裕があり、分かりやすく
日本で感じていた気持ちの悪いプレッシャーを感じることがなかったということです。
私はこのまま日本にいたら自分自身がダメになってしまうと思い、英国へ留学したい
と強く思うようになりました。
親は納得してくれましたが、私は英国のことを何も知らないまま、無謀にも1人で
留学することになりました。これまでの自分から逃げたいという思いもありましたが
私の目の前に大きく広がっていたのは希望でした。
・在学中、私の授業に対する理解力と言語能力に比べて読み書きの能力が劣るという
ことから、ある時、簡単な読み書きのテストを受けました。しばらくして試験の結果
私はディスレクシアと言われてもピンと来ず鈍い反応しかできませんでした。
私はこのときとてもホッとした気持ちになりました。それまでのできるはずなのに
できない苦しみの理由が分かったからです。本の中で天才と呼ばれていた先人たちの
多くが学校で学ぶことに苦労していたというエピソードを思い出し、自分も彼らと
同じなのだと分かったことで、自分は普通ではない、けれども劣等でもない、
特別な存在なのだと思えました。
・ディスレクシアと分かったことは、私の人生を大きく前に進ませてくれました。
学校は試験時間の延長を認め、コンピューターによる打ち込みとスタディスキルの
授業(勉強法を教えてくれる授業)を提案してくれました。私の場合は読みのスピード
から試験時間を25%延長してくれました。いろいろな勉強法と理解力を高める方法を
教わりました。
・英国の社会一般では、ディスレクシアが広く認知されており、障害というよりも
1つの個性としてとらえられています。多くの著名人が「自分はディスレクシアだ」
とカミングアウトしていることもあり、肯定的に見られています。
私がディスレクシアだと伝えると、「建築家とはディスレクシアが強みとして持って
いる空間認知能力や新しい発想を最大限生かせる適職を見つけたね!」と明るい
返事が返ってくるのです。
・海外で働いていた時は、私と似た感性を持つ同業者が周りに沢山いました。凸凹が
あっても自分の力を発揮し生かせる環境があり、できないことを問題にするよりも
できることを伸ばす方が大切だという考えがあったからだと思います。ところが
日本に戻ると、例えば建築業界では、私と似た感性の人の多くは志半ばで淘汰されて
しまうようで、とても残念です。クリエイティブな感性を要求される建築業界でも
この状況なのですから、他の業界はもっと酷いのかな、と思います。
・2010年末に東京大学先端科学技術研究センターの河野先生に検査してもらったところ
私の読み書きの能力は小学校3年生並みということが分かりました。これは日本人の
一般成人の読み書き能力の3分の1以下です。しかし、同時に某有名ITメーカーの
検査では、色付きのフィルターを通せば文字を読む速さが3倍近くなることがわかり
ました。字を書くときはコンピューターでタッチタイプをすれば、手書きの3倍近い
情報量を書き込めることも河野先生の検査で分かりました。それらのサポートがあれば
私はさまざまな作業を円滑に進めることができるのです。
・私がディスレクシアと診断されてから約10年がたちました。この間、多くの方の研究
や努力により、日本でも教育環境は随分変わってきました。しかし実社会ではいまだ
旧態依然のため、私を含めて多くの人々が存分に力を発揮しにくいのが現状です。
・自分自身を知るというのは、簡単そうで難しいことです。目を閉じていても不可避で
暴力的な情報の嵐が私たちを無条件に襲い、その中で本当は自分で感じているはずの
ものを、いつの間にか自分で否定してしまいます。そして誰かが作った価値観を嵐で
空っぽになった身体に注入されて、いつの間にか別人になっているのです。でもいくら
情報が多くて自分自身を知る本能が弱っても自分の好みは何かしら残ります。
自分の好きな場所、好きな人、好きな時間、好きな方法、好きな理由。それらに素直に
なることで、本来自分が求めているものに近づけると思うし、私もより深く近づきたい
と思っています。
・私たちは、違いがあるのが本当の普通なのだと気が付かなくてはいけないと思います。
100人いれば100人分の評価があるべきで、100人にはそれだけの価値があるのです。
多様性があるから面白く、刺激があり、さまざまなポケットや道があり、それを
受け入れることでより多くの人が共有できる空間ができ上ります。
*解説
・ディスレクシアとは発達障害の中でもLD(学習障害)の中核的症状と言われており、生まれつきの脳の
機能の違いによるものです。
・読み書きに困難があるので、学齢期に学習内容を理解するのに時間がかかります。また試験や作文などで
点が取れない為に本来の能力より低く見られることがあります。
・ディスレクシアの人は好奇心が旺盛で知識を吸収する力が強かったり、運動能力が抜群に高かったり
空間認知能力に優れていたり、想像力に富んでいたりします。
建築家のフランク・ロイド・ライト、俳優のウーピー・ゴールドバーグ、政治家のウィンストン・チャーチル
ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン、作家のアガサ・クリスティー、ルイス・キャロルなども
ディスレクシアです。
・国語の時間に教科書を音読させると、ディスレクシアの子は文節のおかしな箇所で止まってしまうとか
何度もつかえるとか、読み間違えるとかして、スラスラ読むことができません。
・ディスレクシアいう単語はギリシャ語の「dys(できない)と「lexia(読む)」が語源になっています