いじめのある世界に生きる君たちへ ―いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉より
中井久夫著(中央公論新社)
・学校には交番もないし裁判所もないし、言っていくところないよねぇ。
それが1番つらいことだったかもねぇ
・ところで殺人は犯罪ですね。ただし、軍人が戦場で行った時には犯罪でなくなります。
いじめのかなりの部分は、学校の外で行われれば立派な犯罪です。では学校の中で
行われればどうでしょうか?「罪に問われない、学校は法の外にある」という考え方は
多くの人が持っているかもしれませんが、ただの錯覚です。
・「いじめ」と「いじめでないもの」との間に線を引いておく必要がありますね。
いじめかどうかを見分ける最も簡単な基準は「立場の入れ替え」があるかどうかです。
鬼ごっこを例に考えてみましょう。誰が鬼になるかをジャンケンで決めるのが普通の
鬼ごっこです。鬼がいつでも○○君、あるいは○○さんと決まっていて「立場の入れ替え」
がなければ、あそびではなくいじめです。
いじめ型の鬼ごっこは遊びとしては面白くありません。その代りに別のものがうまれてきます。
それは、いじめる側の「自分は他人を支配している」という権力者としての
感情や、まわりの人々の「自分じゃなくてよかった」という安心感です。人々は権力者の
側につくことのよさを学ぶわけです。子ども社会はあんがい権力社会という面があります。
子どもは家でも社会でも権力をもてないだけに、権力に飢えています。家の中で権利を
制限され、権力的に支配されている子どもほど、その飢えは増大します。
・人間には「他人を支配したい」という権力欲があります。他にもいろいろな欲があります。
睡眠欲、食欲、情欲など・・・ しかし権力欲はこれらと比較にならないほど多くの人達
をまきこみます。その快楽は、思い通りにならならないはずのものを思い通りにすることです。
その範囲はどんどん広が り、もっと大きな権力、さらにもっと大きな権力へという
具合にきりがありません。きりがないということは、「これでよい」という満足できる
地点がないということです。権力欲には他の欲望と違って、真の満足、真の快さがありません。
・わたくしはいじめが進んでいく段階を「孤立化」「無力化」「透明化」の3つの段階に分けて
みました。これは恐ろしいことに人間を奴隷にしてしまうプロセスです。
・孤立化 被害者はたえず気を配るようになります。まわりに、そして自分のしぐさや
言葉づかい、ふるまいに。そうなると、被害者は「警戒的超覚醒状態」と言われる状態になります。
緊張しっぱなしになり、自律神経、内分泌系、免疫系という身体の大事なしくみが
おかしくなるのです。
ぴりぴり、おどおど、きょろきょろし、顔色が青ざめ、脂汗が出たりしますが、
それは人間として当然の反応です。
・無力化 いじめを大人に訴えることは、特にきつく罰せられます。それは加害者が
わが身を守るためではありません。加害者はすでに「孤立化作戦」の中で、大人はこのいじめに
手出ししないと踏んでいるからです。そうではなくて「おとなに話すことは卑怯だ」
「醜いことだ」といういじめる側の価値観で被害者を教育しようというのです。
・透明化 人間には「選択的非注意」といって、自分が見たくないものを見ないでおくようにする
心のメカニズムがあります。そのせいで、いじめがそこで行われていても、なにか
自然の1部か風景の1部にしか見えなくなる、あるいは全く見えないことがあるのです。
この段階では被害者は孤立無援で、反撃も脱出もできない無力な自分がほとほと嫌になり
少しずつ自分の誇りを自分でほりくずしていきます。さらに被害者の世界はそうとう狭くなっています。
加害者との人間関係がリアルなたった1つの関係となり、まわりの大人や級友たちは
とても遠い存在になります。遠く、じつに遠く、別世界の住人のようです。
大人だったら、殴られたり蹴られたり、お金を巻き上げられたりしたら、警察に訴え犯人を
つかまえてもらうのが当たり前です。ところが子どもはなかなかそうできません。
子どもについての法律は、子どもが罪を犯したらその罪を自覚させて更生させるという建前でつくられ、
大人のように刑罰を受けることはありません。しかし罪の自覚も更生もなく、いじめが放っておかれるのなら、
子どもの世界は大人の世界に比べてもはるかにむき出しの「出口なし」の暴力社会になります。
・安全の確保 大人に対する不信感はあって当然です。安全が確保されないのに根掘り葉掘り事情を
聞きだすのはやめた方がいいでしょう。同時に被害者がどんな人間であろうと
いじめは悪であり立派な犯罪であり、自分は1人の人間として被害者の立場に立つことを
はっきり言う必要があります。
いじめのワナのような構造と、君は犠牲者であるということを話して聞かせ、その子の抱えている
罪悪感や卑小感や劣等感 を軽くしてゆくことが最初の目標でしょう。
道徳的な劣等感は不思議なことにいじめられっ子が持ち、いじめっ子のほうは持たないものです。
by ckdmhrbb
| 2023-07-03 16:24
| 最近読んだ本より
|
Comments(0)