あんずの木の下で -体の不自由な子どもたちの太平洋戦争 小手鞠るい
みなさんは、いじめはいけないものだ、悪いものだ、してはいけない、
なくさなければならないと思っているはずです。
戦争は悪いもので、平和はいいものだと思うのと同じように
いじめはよくない、みんなで仲良くするのが絶対にいい、と。
いじめられるのはいやだけれど、人をいじめるなんて
もっといやだと思っている人もいるでしょう。
それなのに、いじめはなくなりません。
いじめによって、 大けがをしたり、心の病にかかったり、
命を奪われたりする子どもが、あとを絶ちません。
だれもが「いじめはよくない」と思っているのに、
いじめをなくすことができない。
これはなぜでしょうか?
悪いものだと分かっているのに、なくすことができない―
いじめと戦争はそっくりだと思いませんか?
「いじめと戦争、ぜんぜん、違う」と思った人に質問します。
どこが違うのでしょうか?
戦争は戦場で起こるけど、いじめは教室の中で起こっている。
なるほど、起こる場所は、違います。
戦争で戦っているのは軍隊だけど、いじめは子どもたちがやっている。
なるほど、戦っている人間が、違うわけですね。
場所と人は、たしかに違います。
傷ついたり、亡くなったりする人の「数」も違うでしょう。
では、そこで起こっていること、誰かがやっていること、その内容についてはどうですか?
戦場で起こっていることも、教室で起こっていることも、
まったく同じ暴力行為ではないですか?
ほかにも、いじめと戦争の共通点、よく似ている点をあげてみましょうか。
いじめは、弱い子に対して、集団でおこなわれることが多いですね。
卑怯で卑劣です。
戦争と同じです。弱い国を、強い国が侵略しようとして戦争を起こします。
弱い者だけに限らず、いじめは、自分たちとはちょっと違った性格や外見の
持ち主を、目の敵にすることが多いですね。
陰湿で陰険です。
最低で最悪です。
戦争もそうです。自分たちとは違った民族、違った宗教を信仰している国を
目の敵にして、武器を手に、相手を暴力でねじふせ、従わせ、
支配しようとして、戦争を起こします。
いじめも戦争も、根っこは同じ、「暴力行為」だと、わたしは思っています。
そしてわたしは、いじめも戦争も「人の心」と深く関係しているのではないかと考えています。
つまり、いじめも戦争も、最初の小さな芽は「人の心なかから、うまれる」のではないかと。
あの子は、自分とは違う。
あの人は自分よりも弱い。
あの国は、わが国よりも劣っている。
そんなふうに思ったり、考えたりする、その「心」が、より醜く、より汚く、
よりずる賢くなったときに、いじめや暴力や侵略につながり、
戦争に発展していくのではないかと。
かつて日本が中国に対して、戦争を始めたときにも、日本という国には
そういう「心」があったからではないかと。
「心」は、精神とも言いかえられます。
考え方、生き方、人間の在り方でもあります。
弱い子、と、先にわたしは書きました。
自分たちとはちょっと違った性格や外見の持ち主、と、書きました。
それは具体的には、どんなこどもであり、どんな人だと思いますか?
例えば、体の不自由な子ども、車いすに乗った人、目の見えない人
―わたしの母は視覚障がい者です―
発達障害のある子、自閉症の子、耳の聞こえない人。
そのような子どもたち、そのような人々を、あなたは「自分とは違う」と
思ったことがあるでしょう?わたしだって、あります。
「違う」と思うことは、実は悪いことではありません。
だって、人間がひとりひとり違うのは、当たり前ですからね。
でも、その違いは、それぞれの個性であり、性格や生き方や境遇であって
けっして、優劣、正常と異常、健常と障害の違いではないのです。
by ckdmhrbb
| 2020-07-13 13:12
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