いじめのある世界に生きる君たちへ―いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉 (中井久夫)その1
・いじめはその時その場だけでなく生涯にわたり、その人に影響をあたえます。
たとえば仲間はずれにされるいじめで心が傷つき、それからは友だちをつくる
こと自体が怖くてできなくなってしまった。そんな人もいます。
・ところで殺人は犯罪ですね。ただし軍人が戦場で行った時には犯罪でなくなります。
いじめのかなりの部分は、学校の外で行われれば立派な犯罪です。
では学校の中で行わればどうでしょうか?「罪に問われない、学校は法の外にある」
という考え方は、多くの人が持っているかもしれませんが、ただの錯覚です。
・たしかに冗談やふざけが全部いじめではありません。だから「いじめ」と
「いじめでないもの」との間に線を引いておく必要がありますね。
いじめかどうかを見分ける最も簡単な基準は「立場の入れ替え」があるかどうかです。
・いじめ型の鬼ごっこは遊びとしては面白くありません。その代りに別のものがうまれて
きます。それは、いじめる側の「自分は他人を支配している」という権力者としての
感情や、まわりの人々の「自分じゃなくて良かった」という安心感です。
人々は権力者の側につくことのよさを学ぶわけです。
子ども社会はあんがい権力社会という側面があります。子どもは家でも社会でも権力を
持てないだけに、権力に飢えています。
家の中で権利を制限され、権力的に支配されている子どもほど、その飢えは増大します。
・人間には「他人を支配したい」という権力欲があります。他にもいろいろな欲があります。
しかし権力欲はこれらと比較にならないほど多くの人をまきこみます。この快楽は
思い通りにならないはずのものを思い通りにすることです。その範囲はどんどん広がり
もっと大きな権力、さらにもっと大きな権力へという具合にきりがありません。
きりがないということは、「これでよい」という満足できる地点がないということです。
権力欲には他の欲望と違って、真の満足、真の快さがありません。